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# W19-センスが新しい基礎力になる

最近、面白い考え方を見た。実装が安くなるほど、センスが重要になるというものだ。

1757年にはすでに、ヒュームが『[趣味の標準について](https://www.britannica.com/topic/Of-the-Standard-of-Taste)』で、センスをどう鍛えるか論じていた。センスは完全に主観的なものではなく、鋭い知覚、繊細な感受性、継続的な実践、繰り返す比較、偏見の除去によって少しずつ高められると考えた。今読み直すと、むしろ現実的な意味が増している。

以前、絵を描くにはデッサン、色彩、構図を学ぶ必要があり、長く訓練しなければ見られる作品は作れなかった。今は違う。言葉で頼むだけで、AIが10秒で10枚の絵を出すこともある。差をつけるのは、作れるかどうかではなく、10枚から最良の1枚を選べるか、どこが違うか指摘できるか、さらによくなるまで直せるかだ。

この判断力が、センスである。

[Paul Grahamは、センスについて明確な見方を示している](https://www.paulgraham.com/taste.html)。単に「好みは人それぞれ」ではないという。数学、工学、建築、絵画、文章、ソフトウェアには、実際によりよい設計がある。よいものには共通点がある。簡潔で、飾り立てず、時に耐え、本当の問題を解く。自然で軽やかに見えて、背後では難しいことをしている。ある分野に本当に秀でるのは、作れるからというより、何がよいか分かるからであることが多い。

[Rick Rubin](https://www.grammy.com/artists/rick-rubin/13812)は典型例だ。多くのグラミー賞を受賞した大成功の音楽プロデューサーだが、本人は演奏、ミキシング、機材操作を得意とするわけではない。中核の能力は判断だ。何がよく、何が余分で、どこを残し、どこを削るべきかを聴き分ける。エンジニアリングでいえば、よい技術責任者やアーキテクトの能力に近い。すべてのコードを自分で書かなくても、システムのどこが不自然で、複雑で、飾りにすぎず、長期的な代償を残すか分かる。

AI時代には、この差がさらに広がると思う。コードは安くなり、試作品は簡単に作れ、習熟を要した仕事の多くはツールで素早く均される。しかし、判断力は自動では生まれない。実装が無料になったあと、本当に希少なのは、目的意識、判断、美意識、取捨選択の能力だ。取り組む価値のある問題を定義できるか、案の悪い兆候を見抜けるか、「動きそうなもの」を「長く信頼できるシステム」へ変えられるかが、より重要になる。

AI Codingの成果が速く見えても、最後に人の支えが要る理由もここにある。AIは大量のコードを生成できるが、どの複雑さが必要で、どの抽象化が半年後に重荷になり、どの操作が手順だけを満たしてユーザーを苦しめるかを、本来知っているわけではない。エンジニアは「コードを書く人」から「Enterを押す人」へ単純に変わるのではなく、判断、フィードバック、検証へもっと早く関わる必要がある。

センスは、ゆっくり変わるものでもある。数本の記事や数回の講演では、すぐには身につかない。長く接してきた人、使った製品、読んだコード、失敗、読書、受けたフィードバックから生まれる。普段どこへ注意を向けるかが、最後には直感として蓄積する。悪いものばかり使えば、よいものへの感度は育ちにくい。醜い設計を長く許すチームが、急に洗練された製品やシステムを作ることも難しい。

鍛える第一歩は、「醜さを見つける」能力かもしれない。醜いものを我慢しない。公共空間の虚勢を張った建築や、日常のソフトでユーザーを遮るポップアップ、販促、強い誘導などだ。醜い理由は、見た目だけではない。不誠実で、簡潔でなく、本当の問題を解かず、誇張した形式で内側の乏しさを隠しているからだ。開発でも、過剰に包んだ抽象化、誰も理解しない設定、再利用自体を目的とした共通モジュールは、本質的には同じ醜さを持つ。

第二歩は、よいものを多く使うことだ。よい道具は、何がよいかを教えてくれる。比較によってセンスが上がることは多い。中国国内は半ば開かれた市場で、選ばれている製品の中には、最良だからではなく、選べる範囲で仕方なく使われているものも多い。チャージ、コードの読み取り、入場のような単純な用事は、そのまま完了できるはずだ。だが多くの製品は、ポップアップ、キャンペーン、会員登録、販促を詰め込む。慣れると感覚が鈍り、ソフトはそういうものだと思ってしまう。優れた製品を多く体験すれば、簡潔で、控えめで、直接的であること自体が能力だと気づき直せる。

第三歩は、センスのよい人に多く接することだ。センスには強い共同体的な性質がある。優れた人は結論だけでなく、判断基準を与える。なぜこの案は悪く、この操作は余分だと言うのか。なぜ機能の削除にこだわり、妥協した設計を受け入れるくらいなら書き直すのか。この判断の過程は、最後の結論より価値がある。よいフィードバック文化は、本質的にはチーム共通のセンスを鍛えている。

もちろん、センスだけで何も作らなくてもいけない。批判ばかりで成果がなければ、気取りになりやすい。価値のあるセンスは、創造に役立たなければならない。悪いものが分かるだけでなく、自分を高め、十分によいものを作るためのものだ。Paul Grahamは実用的な方法を述べた。醜さを強く嫌い、極めて厳しいセンスを育て、それを満たす自分の能力を上げ続ける。この言葉は、AI時代に読み直すのに適していると思う。

これから優秀さと平凡さを分けるのは、「誰が実装に長けているか」より、「何を実装する価値があり、何をもってよい実装とするかを誰が理解しているか」かもしれない。AIは技術の敷居を下げ、判断の敷居を上げた。エンジニアには基礎力が今も重要であり、センスも新しい基礎力になる。
